8月18日(日) 大丹生(晴れ)
前回の釣行で、筏群のチヌは小さいと判断したので、カセを予約して釣り場に向かった。渡船場に着くと私の他に4人の釣り人がおられた。4人とも一文字でフカセをやる釣り人だった。5時40分頃、他の釣り人と出船して、一文字に向かった。ところが船中の短い間で迷いが生じた。近くでフカセ釣りをされても、大して影響はないと頭ではわかっている。しかし、もしアタリがでないとフカセに魚が寄っているためかもと不安が生じて、焦る自分がいるように思った。そういう状態になると、せっかくの釣りがおもしろくなくなる。ここは自分の釣りに集中できる環境を選んだ方がよいのではないかと思った。前日には筏群で、ある程度の釣果がでていたことも手伝って、カセにのる直前で筏に変えた。フカセの釣り人は何も悪くはないのに、たくさんフカセの人がいるという理由で変更したので、不快感を与えてしまったかもしれないと後で反省した。
筏群に向かい4号に乗った。蠣殻などが落ちていたので、最初はフロートにわずかに残っていた極小イガイでやってみようと思った。すると第1投でアタリがあり、一瞬の手応えはあったが、ばれてしまった。しかし、チヌがいることが早々に確認できた。その後もう1度アタリがでたが、魚の活性があるように感じたので、イガイでは粘らず団子釣りに切り替えた。表層には、すぐに豆アジ、コノシロ、サンバソウ、グレが現れた。釣れる予感がした。そして9時頃までに4枚釣れた。しかし、派手なアタリを出して釣れたチヌはどれもこれも小さかった。その後は、小チヌすら釣れなくなった。「前回と同じ状況や。しまった。しまった。しまった。判断ミスや。なぜカセを変えたのか・・・。筏は小チヌが多いと学習したことが前回の最大の成果やったのに・・・。」早朝の判断がすべての間違いであった。後悔が残った。
15時、意地で30㎝を釣って、15時半、納竿した。一文字ではおそらく4人で、40前後の良型が20枚程度釣れていた。極めて残念な釣りをして陸に上がるとがじろうさんが来てくれていた。いつものようにいろんな話しをした。ただ、話しながらどうしても目が離れないものがあった。それは海に浮かんだ良型の3枚のチヌだった。そのチヌは一緒に上がった釣り人が捨てたものだった。その釣り人は私にチヌをもらってくれないかと言われたが、私は釣った小チヌを塩焼きと犬のためにキープしていたので断った。すると次の瞬間、クーラーの中のチヌを海に流してしまった。浮かんでいるチヌの死骸を見るのは辛かったので、その釣り人が去った後につかみ上げ、「これ、おれが食べた方がいいかな?」とがじろうさんに言うと、がじろうさんが首を振って、「和田さんが、人の罪まで背負うことはない。」と言ってくれた。心が軽くなった。私も一度、夏に釣果写真を撮ろうと、チヌを並べたところ、予想に反してチヌが早く死んでしまい、どうしてもクーラーに入らなかったチヌを1枚か、2枚海に流したことがあった。それ以来、夏場はスカリの上から写真を撮って、食べない分はすぐに放流している。善悪を語るつもりはない。ただ、私は年を重ねて命あるものへの慈しみの心が強くなった気がする。「じゃ、イガイを踏み潰して撒くのはどうなんですか。」と言われると返答に困るのだが。
この夏は時間があるので、行こうと思えば8月にまだ行ける。ただ、流れが悪いときはしばらくじっとしておこうと思う。また、穂先が突き刺さるイメージが見えたら行こうと思う。
釣果:4枚(32・30・27・25)