8月11日(金) 大丹生(晴れ) 中潮
7月よりの後半戦は、どうもさんざんなできの釣りばかり。釣れないほど釣りは早く行きたくなる。今回もしつこく大丹生に行くことにした。2時半に自宅を出発し、途中団子(大)、丸貝、サナギ、岩ガニ10匹、氷を購入。合計3800円。大丹生には4時20分頃到着。釣り人は誰もいない。明るくなるまで、小屋で電灯をつけて、竿に糸を通したりして時間をすごした。4時40分、そろそろおじさんを起こそうかと思っていると、おじさんが起きてこられた。ほぼ同じタイミングでもう一人釣り人到着。その釣り人は、乗り場より少し離れた、元のフェリー乗り場に車を止められた。
荷物を積み込んで出船。「あの人は防波堤にいかはんの?」「いや、あんたと一緒の筏にのりたいらしい。」「はんまー。まいったな・・・。」「2人でどうするか、決めて。」その釣り人がいるフェリー乗り場までの1分ほどの間に考えた。「どうしよ。大丹生は基本的に早い順やし。普通の釣り人やったら、ゆずるやろな。でも、せっかく来られたし、自分の乗りたい筏に乗りたいと思ってられるやろしな。希望が強そうやったら、ゆずろうか。でも、どこにしよか・・・。こういう事態は考えてなかったから、すぐに思いつかない。とにかく、ゆずろう。」そんなことを考えている間に、おじさんが事情を説明し終えていた。「いや、僕はいいので、のってくださいね。」「いや、いいですよ。」筏に着いた。「どうぞ、乗ってください。僕は違う筏にのりますから。」と再度言ったが、その釣り人は丁寧に断られた。ならば、ということで乗ることにした。しかし釣りの準備をしながらも、何か気になった。すっきりしない気持ちだ。「どうすべきだったのだろう?おじさんが事情を話す前に筏の変更を決めるべきだった。おじさんが事情を話せば、後から来た方は遠慮する。大丹生では、場所にこだわりはさほど持ってない。いつもなら、すぐに決断できるものを、リベンジにこだわって迷いが消せなかった。ゆずる言葉にも力がなかった。大丹生ではおそらく私の方が常連だと思う。ならば、尚更私がゆずるべきだった。失敗。申し訳ないことをしてしまった・・・。」
こういう日は得てしてダメなものだ。団子を打ち始めで30分もしないうちに、コノシロが集まり、底にもボラが寄り始めたが、なぜか7時には何も反応がなくなった。7時過ぎに落ち込みでのアタリで丸貝が潰されたので、チヌはいるようだが、活性が低いようだ。10時頃だったか、やはり落ち込みでカニが食いちぎられた。食い気はないが、多少のチヌはいる状況。小さいアタリを丁寧に拾えれば、可能性はあると思った。11時半、ボラか、ウグイのようなアタリがでる。紛らわしいアタリを見送りに見送る。餌をくわえたと思えるアタリがでるまで、相当待った。そして、1分半ほど待ってかけた。アタリはボラだったが、引きは大型チヌのものだった。「よし!」しかし・・・、あえなくロープ。残念。「またかよ。バラシがおおすぎ。情けない。」バラシが多いのは、もちろんへたなのだが、そればかり嘆いても仕方ない。多くのチヌをかけられば、バラシも増える。アワセが上手くなったと言い聞かせることにしている。その後、当然アタリはなくなった。2時頃より、時々細かいアタリがでるようになったが、今度は本当にボラだったようで、鱗が上がってきた。でも、後から考えれば、1,2回はチヌだったかもしれない。じっくり食い込むまで待ったり、誘うなどの工夫をすればかけられたかもしれない。結局、半ばやけくそで19時までやったがクライマックスはなかった。
筏から上がるとがじろうさんが来てくれていた。がじろうさんは開口一番、私の腕の黒さを笑っていた。皮がむけたところが、むけきれるまえにまた焼けている。暗闇に同化している。ふと思った。「やりすぎたな。」釣行可能な日にことごとく出撃した結果、2週間で4回も釣りに行った。その間自分では気づいていなかったが、夏の驚異的な暑さのため、気力・体力が落ちていた。今朝のこともそうだが、判断力も落ちているし、釣りに工夫もないし、我慢もない。様々なミスも連発。たぶん、いろんな人に不適切な発言等で不快感も与えていたかもしれない。深く反省した。釣りは魚を釣ればそれでいいというものではないと思っている。今の状態ではだめ。出直し。
疲れた脳で取り留めもない話をがじろうさんに聞いてもらっているうちに、完全に日が暮れた。7時半過ぎ、大丹生を後にした。今すぐにでも釣りに行きたいが、しばらく我慢。というか行く日もないが。きっと次の釣行は楽しみで仕方ない状態となっていると思う。
釣果:夏の陣などやるべきではない。釣行は計画的に。