3月19日(土) 大丹生(曇りのち晴れ)
こんな時ではあったが、釣りに行くことにした。4時過ぎに自宅を出発し、途中でボケ30とイシゴカイ500円を購入し、大丹生には6時過ぎに到着した。岸から海を見渡した。「誰もいない。そらそうか・・・。」釣りに来ている自分が考えることではないが、なぜか安心した。やがておじさんが出てこられ、出船した。乗った筏は前回と同じ岸よりの筏だった。筏に降りると防波堤の先に広がる海を見た。いつも見慣れた光景だったが、複雑な思いがした。海で怖い目にあった経験は普通の人より少しは多いと思う。それでも海を見るのは好きだった。ただ、今は以前と同じ気持ちではまだ見られない。しばらく、沖に目をやったあと、釣りを開始した。
釣りを開始するとしばらくしてアタリが出始めた。しかし、チヌではない。どうも大量にフグがいるようだった。1投ごとにハリスに傷が入る。結び代えては、餌を投入する。その繰り返しが続いた。ボケやイシゴカイならハリスは大丈夫なのだが、どうせフグにやられるのではもったいなかったので、牡蠣を中心に釣りをした。8時を過ぎるころから、フグの猛攻はだんだん落ちていったが、チヌらしきアタリは1度もない。ほとんど何もあたらない時間が1時間ほど過ぎるとフグの活性が20分ほど上がる。そしてまたあたらない時間が過ぎで、フグが元気になる。フグ以外には11時半にカレイが釣れただけであった。
昼からはというとやはり状況は同じで、時々フグの活性があがるだけで、ドキッとするアタリはない。ただ、天気は昼までは強い風で寒く感じたが、昼からは風も止んで暖かくなった。釣り人は全くいないが、漁師さん達が牡蠣の種のついたロープをそこらここらで吊るされていたので、海の上は賑やかだった。ボーとしていると被災地のことや個人的な心配事が頭に浮かんだ。こんな時に来ているからこそ、なんとか釣りたいと思っていろいろ工夫したがアタリはでない。16時過ぎからは温存していた良型のボケを付けた。ボケに心で話しかけて送り出した「ビッグボケ、頼んだぞ!」「ビッグボケ、年無しに食われてこい!」・・・、そしてボケ部隊はすべてフグ等の外道の餌食となってしまった。
ボケの後は牡蠣で釣り続けた。17時を回るとすごく活性が上がってきた。着底後すぐにあたってくる。しかもアタリがはっきりしており、手にアタリが伝わってくることもあった。ほとんどがフグだったが、これだけ魚の活性が上がれば、チヌも食ってくるかもと思えた。ハリスの付け替えをしながらハイペースで牡蠣を投入した。夕まずめの1発を狙って納竿予定の17時半を過ぎても釣り続けた。しかし、18時に離れた筏で作業していた西田のおじさんの「釣れたかー。」との声に「あかん。」と答えたのを切りにして、やめることにした。
陸に上がると2分ほどで片付け、大丹生を後にした。夕暮れ時の海、私の好きな時間帯を楽しむことを忘れて大丹生を後にした。帰り道は何も考えていなかった。いつもより高速を速く走ったことと見上げると満月だったことだけを覚えている。
釣果:被災地を思う。優しい社会を思う。