5月7日(土)    白杉(晴れ)

 もう一度カセで乗っ込みチヌを釣りたくなった。できれば今度は数もアタリも増やしたい、もっとカセを楽しみたい、そう思った。当日は団子(小)、小ボケ30、オキアミ小ブロック、サナギ、氷を購入し、5時前に渡船場に到着した。山弘のおじさんもしばらくすると来てくれた。連休中の釣果を聞くが釣れた時もあるのだが、ここ2日ほどは良くなく、要するにおじさんも状況をつかみかねているようだった。私も島のどのあたりが良いのか見当がつかないので、おじさんの勘に任せることにした。5時10分に出船して、筏群からカセを引いて再び戸島に戻った。おじさんがカセをつないでくれたのは、前回同船した方が乗られたところだった。私のカセも近くにあったので、ロケーション的には前回とほぼ同じポイントだった。アンカーを磯場に放り込んで、もう一つのアンカーのついたロープをおじさんの船が引いていったが、その途中で最初の磯場のアンカーが外れて、再びカセのかけ直し。そんなトラブルもあって釣り始めたのは6時になっていた。カセをかけて、おじさんは帰港したが、強風のためなのか、アンカーが効いていないのか、どんどんカセが流れて、岸のすぐ近くに動いてしまった。水深は4メートルほど。あまり浅い場所は好きではないが、魚はどんな場所にいるかわからない。流されたことが吉とでるかもしれないと思って釣り始めた。すぐにアタリが出始めるが、イソベラのオンパレード。また落とす場所で微妙に水深が違う。ちょい投げすると根掛かりすることもある。どうもシモリの上にカセがあるようだった。「なんか釣れる気せんな〜。どうしよ。でも水深1メートルでもチヌはいるし、4メートルあったら、十分なのか・・・。」もやもや考えながら釣りを続けていると、7時半、山弘のおじさんが様子を見に来てくれ、もう一度しっかりとアンカーをかけ直してくれた。気分を変えてポイント作りから始めた。団子が効いたのかすぐにアタリは出始めたが、チヌではない。次々外道がかかる。潮もよく流れて、なんだか、前回の続きを行っているようだった。昼前になると、グングン気温は上がり、強い日差しのため、仰向けに寝ると、顔が焼けてしまうほどだった。暑い中頑張って釣ったが、釣果はイソベラ10ほど、フグ30ほど、ギンポ4、ガシラ1、ハオコゼ1、タコ1に終わってしまった。結果論ではあるが、カセをかけられる場所は多くあったのだから、せめて違う場所で釣ればよかったと後悔した。ロケーションだけでなく、潮の流れやシモリの状態などが違う、いろんなポイントがあったので、せめて釣れなくても新しい経験をしたかった。しかし同じポイントで同じような結果になってしまったのは、、釣り場の知識が少ないため、自分でポイントを決められなかったのが原因だったので、カセへの釣行を積み重ねて行くことが必要だと感じた。おそらく多少なりとも釣り場のイメージできるまで数年はかかると思うけど・・・。

 15時40分、白杉を後にして大丹生に向かった。西田のおばさんのお参りをするために。大丹生の駐車場に着いたのは16時20分頃。がじろうさんと落ち合い、西田のおじさんの家を訪れた。家に上がって焼香させてもらった。そのあとおじさんと話した。おじさんは矢継ぎ早に話された。人生、ゆっくりと過去を振り返ることはあまりない。おじさんもそうだったのだろう。そしておばさんが亡くなった今、おじさんの心にはいっぱいの想いがわき出ているのかもしれない。30分ほどいただろうか、帰路についたのは17時頃だったと思う。時の経過と共にすべては変化する。あったものがなくなることは悲しいが、それを受け入れ、何事もなかったように生きていくしかないのかもしれない。そういえば、3月に仕事で博多に行った。空いた時間に20年ぶりくらいに母校を訪れた。町並みはすっかり変わり、母校を見つけることすら苦労した。母校を基準にして、下宿していたぼろアパートを探してみた。新しい高層マンションが立ち並ぶ中、アパートはへばりつくように残っていた。うれしかった。多くのものがなくなったのに、私の青春の証がまだ残っていた。

釣果:人生とはなんだろう。